2013年7月25日木曜日

トルコに潜むウイグル独立組織:トルコ政府も暗にその活動を黙認支援

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●24日、中国の新疆ウイグル自治区における政府の弾圧から反政府組織がトルコへ逃れ、現地で構成員の教育・育成を行っていることが中国政府にとって脅威になっている。資料写真。


レコードチャイナ 配信日時:2013年7月25日 19時40分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=74684&type=0

トルコに潜むウイグル独立組織、中国政府に大きな脅威―中国メディア
 
 2013年7月24日、中国の軍事専門ポータルサイト・西陸中国軍事によると、中国の新疆ウイグル自治区にはウイグル族を中心とした東トルキスタン独立運動が存在しているが、中国政府の弾圧から反政府組織がトルコへ逃れ、現地で構成員の教育・育成を行っていることが中国政府にとって脅威になっている。

 中国とトルコは1970年代に国交が結ばれ、それ以降関係を深めてきた。
 近年は特に両国関係が緊密となっていたが、イスラム文化・宗教や国際政治など多くの要因が影響して、トルコ社会が東トルキスタン運動を支持するようになり、
 トルコ政府も暗にその活動を黙認・支援するようになっている。
 現在トルコ国内には大小20余りの独立組織が中国から逃れてきているという。

 ウイグル族出身のある若者は2年前トルコを訪れた際に、本部がイスタンブールにある「東トルキスタン教育・互助協会」からさまざまなサポートを受けた。
 その後、思想背景などの審査を受け、教育を施された後に正式に東トルキスタンイスラム運動のメンバーになった。
 指令を帯びて帰国した後は、テロを画策したという。

 2008年の北京五輪の聖火リレーでは、中国の人権侵害や東トルキスタン独立運動弾圧に対する抗議として、トルコに居住していたウイグル人やそのトルコ人支援者200人余りが抗議活動を行った。
 ウイグル人はトルコ人と同じチュルク系民族であり、歴史的にも深い関係にある。
 また、現在トルコ国内にはおよそ10万人のウイグル人が居住しているとされ、東トルキスタン独立勢力が作成した「国旗」はトルコのものとよく似ている。


 チベットとにウイグルと少々やっかいなものを抱え込んでいる。
 何か事が起こると、騒乱活動に走る組織が内部にいるということは中国もおちおちしてはいられない。
 あまり強引なことをやると、ヤブを突っつくことになる。


レコードチャイナ 配信日時:2013年9月30日 21時0分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=77379&type=0

<日本人が見た中国>新疆ウイグル自治区で警察に拘束される

 新疆ウイグル自治区南部の小さな町チャルクリク。
 ここで写真を撮っていたところ、軍人にスパイだと疑われ警察に連行され、1日拘束された。
 あとで知ったが、新疆でこのように不当に拘束された旅行者は多いようだ。

 2013年9月20日、ある田舎町の警察署の一室で、私は取り調べを受けていた。
 かれこれもう6時間も椅子に座らされ、外に出られないのはもちろんのこと、トイレにまで監視人がついてくるありさまだった。
 少し離れた所で警察官や軍人が私のパソコンをのぞき込み、時折おしゃべりしながらクスクスと笑った。
 私の神経はそのたびに逆撫でされた。

 中国最西部、新疆ウイグル自治区南部のチャルクリク(中国語名:若羌)。
 私が拘束されていたのは、砂漠のただ中にあるこの小さな町の警察署の一室だった。
 シルクロードのオアシス都市として栄えた有名な楼蘭や、ミーラン遺跡への基点となる町だ。
 ガイドブック作成の仕事をしている私は、町の地図のチェックや観光名所の撮影のためにこのチャルクリクを訪れていた。

 事の始まりはこうだった。
 チャルクリク滞在2日目の朝、あるホテルの外観写真を撮影していると、迷彩服を着た軍人が駆け寄ってきて、強い口調で写真を見せろと言った。
 怖くなった私は大声をあげて抵抗した。
 しかし助けは来ず、何人もの軍人が私を囲み、カメラをつかんで今にも奪いそうだ。
 今撮った写真がいけないのなら削除してしまえばいい。
 隙を見てメディアを初期化し、さあこれで問題ないだろうと思ったが、それが余計に彼らの疑いを強める結果となったのだ。

 やがてパトカーがやってきて警察へ連行された。
 前日歩き回って書き込んだ町の地図は取り上げられ、私の仕事用パソコンは調べを受けることになった。
 つたない中国語、英語、日本語で状況を散々説明したが、日本語を話す警官ですら、私が軍事施設を撮影しに潜入したスパイだと思い込んでいるようだった。
 これまで何度も中国を訪れていたが、こんなことは初めてだった。
 2012年の夏というと、ちょうど日中の関係が悪化した時期にあたり、通常よりぴりぴりしていたというのもあるのかもしれない。

 捜査は非常に効率が悪く、延々と続いた。
 しかし結局パソコンからは、私が悪人だという証拠は出てこなかったようだ。
 ついに辺りが暗くなり、うんざりした私が勝手に警察を出てきても、もう誰も追いかけてはこなかった。
 街を再度歩き回って気が付いたが、この小さな町では夜になるといたる所でパトカーが走っており、その多さは異常なほどだった。
 翌日改めてパソコンを取りに行ったが、係りの女性は私の犯罪の証拠を見つけられなかったからか、苦々しい顔でパソコンを持って行けとあごをしゃくった。

 あとで聞いたところ、新疆で私と同じように拘束されたことのある日本人は結構多いようだ。
 ウイグル族と、民族同化政策の一環として移住を続けている漢民族との緊迫した関係が、警察の権力を濫用させる結果になっているのだろうか。

■菅沼佐和子
神奈川生まれ。2002年から約3年半かけて、ユーラシアとアメリカ、アフリカ大陸の一部をバックパック旅行する。旅の経験を活かし、現在は東京を拠点にフリーランスの旅ライター兼旅行ガイドブックの編集者として活動中。



減速する成長、そして増強される軍備


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