2013年7月20日土曜日

日中 尖閣「棚上げ」攻防の真相 :打開策見えない関係の行方

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WEDGE Infinity 2013年07月17日(Wed)  城山英巳 (時事通信北京特派員)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2988?page=1

日中 尖閣「棚上げ」攻防の真相
打開策見えない関係の行方

 「いかなる接触も前向きな効果があるか事前に考える必要がある。
 実際の効果を必ず考えなければならない」—。

 ボルネオ島の北側に位置する王国・ブルネイで6月29日~7月2日まで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)をめぐる一連の会議で、中国の外相・王毅は日本人記者団に何回かこう語った。
 岸田文雄外相との接触の可能性を聞かれての答えだった。

 結論から言うと、両外相は接触どころか、挨拶もしなかった。
 安倍晋三首相はそれに先立つ6月28日夜、
 「尖閣の問題で一定の条件を日本がのまなければ首脳会談をしないと(中国側は)言ってきている」
と反発したが、中国政府は尖閣諸島をめぐる領土問題の存在や領有権「棚上げ」を認めない日本政府に対し、これらの柔軟化を首脳会談の条件としていたのだ。

■「外相会談」準備を進めた外交当局

 王毅はブルネイ出発前、ある日本の要人と会談し、こう語ったという。
 「もう日本側では会談はないことになっているようだから」。
 日本メディアは、日本側がブルネイで王毅と非公式な立ち話を行う調整を進めると報じていた。
 こうした報道を知っていた王は立ち話について「現場で判断します」と答えた。

 筆者はブルネイで取材していて、日中政府ともに、
 「立ち話」に備えた準備を進めていたのは分かった。
 日本の外務省の中国担当課長と中国語通訳も来ていたし、中国外務省の日本担当者も同行していた。
 王毅もブルネイで日本人記者に「日本側が会いたいことは知っている」と話し、冒頭の「(接触した)効果を考える必要がある」との発言と共に、日本政府にも伝わっていた。

 しかし結局、日中外相は会話を交わさなかった。
 岸田は日本人記者団に
 「結果として今回は、接触はなかった。
 しかし、大切な二国間関係、ぜひ進めるべく関係者は努力しなければいけない、それは当然のことです」
と述べた。

■「安倍発言」に反応した中国政府

 中国政府筋によると、王は最初から岸田と接触しないと決めていたわけではない。
 王に随行した羅照輝アジア局長も会議中、「看情況」(状況を見て)と繰り返した。
 しかし中国側を硬化させた原因の一つは、首相・安倍晋三の前出・日中首脳会談をめぐる発言だったようだ。

 28日に続き、30日にも
 「(2国間に)課題があるのであれば、会って話をすることが正しい外交の在り方だろう。
 会う、会わないをお互いに条件にすべきではないだろう」
と中国政府の対応を批判した。

 中国のインターネット上では、ブルネイで王毅と岸田がすれ違う写真が掲載され、それだけで反発が広がった。

 中国政府は結局、日中外相同士が接触すれば、
 「お互いに尖閣などに関する主張を展開せねばならず、日中関係改善にとってマイナスになる」(日中関係筋)
という判断があった。

 李肇星や楊潔篪ら、「日本通」でない歴代外相ならば、日本の外相と会って一方的に中国の主張を言い、仮にけんか別れ状態になっても、国内では評価されるかもしれない。
 しかし一貫して「日本畑」を歩み、駐日大使も務めた「日本通」外相の王毅は、一方通行的な会談で終わった時、日本国内でさらに嫌中感情が高まるかを熟知している。
 今は「何も動かない方がいい」と考えた結果だった。

■王毅外相、「日本通」の苦悩

 ブルネイで王毅は、われわれ日本人記者が近寄って取材しても、非常に親切に対応してくれた。
 ただお互いに日本語ではなく、中国語でやり取りし、テレビカメラには非常に神経を尖らせた。
 日本人記者と日本語で話している映像が流れれば、「売国奴」と国内で批判が高まることは言うまでもない。

 実際に王毅は、北京においても「会っても『会った』と言わない」外交を展開している。
 3月の外相就任後、日本から多くの古き友人が北京を訪れ、「王毅さんに会いたい」との希望が寄せられている。
 しかし中国外務省のウェブサイトを見ても、王が日本の要人と会談したとの発表はなく、「会っていない」ことになっている。
 実際には中国政府関係者によると、たびたび日本の「古き友人」と会見している。

 さらに歴代外相と違い、どれだけ日中関係が悪化していても、日本を含めた外国メディア記者の前で日本の悪口は言わなかった。
 その意味するところについて対日関係者は明確に解説する。

 「習近平国家主席は、江沢民やその下で外相として対日政策を統括した唐家璇(現中日友好協会会長)が、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝問題の際、日本国民の対中感情を悪化させる対日政策を展開したが、それを繰り返したくないと考えている」

■中国が反発する日本の「3つのノー」

 しかしながら日本国内では、外相会談に前向きでなかったとして中国側への批判が強いのは事実である。
 しかも首脳会談に「条件」を付けている。条件とは一体何なのか。

 4月末以降、中日友好協会会長・唐家璇は、北京を訪れた複数の日中友好団体代表団と会見した際、尖閣問題をめぐる日本政府の「3つのノー」(三不承認)政策について述べ、「受け入れられない」との立場を示している。
 中国側の主張する日本の「3つのノー」とは次のことを指す。

(1).尖閣諸島に領土の係争があることを認めない。
(2).過去の両国指導者が合意した(と中国が主張する)領有権「棚上げ」を認めない。
(3).中日双方の主張が異なるという国際社会公認の事実を認めない。

 3点目については中国側の見方にも諸説あり、上記(3)よりも「領土問題としての対話に応じない」という日本政府の対応を指している場合が多い。

 複数の日中関係筋によると、王毅も6月末、日本の要人と会談した際、この3点に言及し、こう続けたという。

 「安倍首相は『対話のドアを常にオープンにしている』と言っているが、(この3点がある限り)対話の『入り口』にも入れず、両国関係は硬直化し、問題解決の道筋も見えてこない」

■安倍に「前向きなメッセージ」求める

 対日政策に関わる中国外務省幹部は、日本政府に対して領土問題の存在と棚上げの2つを認めることを特に要求し、
 「安倍首相は対話の窓口を開いていると言いながら、実際には開いていない」
と批判。
 「中国としても無理は言っていないし、これ以上事を荒立てるつもりもない。
 このような状況では(日本の出方を)静観するしかない」
と漏らした。

 前出・外務省幹部は、日本側に求めているのは「前向きなメッセージだ」と強調する。
 別の対日当局者も
 「安倍さんは、中国側が『首脳会談に条件を付けている』と言っているが、別に『3つのノー』が全部改まらないと会談に応じないと言っているわけではない」
と解説した。

 一方、官房長官・菅義偉は
 「中国側との間で、棚上げや現状維持で合意した事実はないし、棚上げすべき問題も存在しないのが政府の公式的な立場だ」
と強調している。
 中国共産党・政府は7月21日投開票の参院選後に、「尖閣問題で一切妥協しない」とする安倍から対中政策でどういうメッセージが出てくるか見極め、新たな対応を決める方針だ。

■「これを『棚上げ』と呼んだ」

 1972年の国交正常化の際、外務省条約課長として交渉に深く関与した栗山尚一元外務事務次官が、外務省OBによる冊子「霞関会会報」2013年5月号に寄稿した「尖閣諸島問題を考える」という文章が、話題となっている。
 日本側外交官だけでなく、中国外務省当局者も「注目している」とする文章である。
 田中角栄首相と大平正芳外相に随行した栗山は当時をこう振り返っている。

 「
 いずれにせよ、われわれは、中国側がこの問題(尖閣問題)を提起しない限り、わが方からこれを積極的に持ち出すことは、徒に正常化交渉を複雑化するのみであるから避けるべし、との対処方針につき大平外務大臣の了承を得て北京に赴いたのである。
 したがって、九月二十七日の第三回日中首脳会談の席上で、突然田中総理が
 『どう思うか』
といった口ぶりで尖閣問題に言及したことは、事務方にとっては想定外の出来事であった。
 しかし、これに対して周(恩来)首相が、この問題については
 『今回は話したくない。今、これを話すことはよくない』
と応じたので、それ以上議論は発展しなかった。
 筆者は、このときの両首脳間のやり取りの結果、(中略)『解決しないという解決案』についての黙示の了解が生まれたと理解すべきと考え、これを『棚上げ』と呼んだのである


■「棚上げ」条件として「2つのルール」

 さらにこう続ける。

 世上、尖閣諸島問題については、領有権に関する日本の立場は強固なのであるから、中国側の『棚上げ』論に同調すべきではないとの批判がある。
 中国の主張(日中間には、『棚上げ』についての明確な合意が存在する)は、確かに一方的に過ぎるが、(中略)中国側が『棚上げ』を主張し、日本側がこれを暗黙裏に受け入れたというのが事実の正確な描写であると思われる


 しかし栗山は結論として次の「2つのルール」を守らないと「棚上げ」は成立しないと主張し、中国にもこのルールを守るよう求めている。

 「
 七二年の原点とは何か。
 それは、まず第一に、当時田中総理と周恩来首相が共有した尖閣諸島の領有権問題の決着を求めようとすれば日中両国失うものが余りにも大きい、との認識を今一度確認することである。
 そのうえで、双方とも、それぞれの領有権に関する立場を相手が受け入れることを要求しないこと、及び交渉によることなく、一方的に自らの立場を有利にしようとするいかなる行動も控えることの二つのルールを相互に尊重することについて合意することである


■野中広務が暴露した「角栄」発言

 72年の国交正常化交渉の際に「棚上げ」があったかどうかの議論は、現在、大きな争点となっている。
 栗山は中国の棚上げ論は「一方的に過ぎる」としているが、6月3日に中国共産党ナンバー5の政治局常務委員・劉雲山と会談した元官房長官・野中広務は会談後の記者会見で劉に語った内容を披露した。
 野中は、日中国交正常化を実現して帰国した田中から、自民党の若手を集めて箱根で開かれた研修会の場で「交渉秘話」を聞かされた。
 以下、野中の記者会見での発言。

 「
 田中先生は最後に尖閣問題について
 『あの問題についてこの際、話がしたい』
と言ったら、周総理は
 『田中先生、今そこまで踏み込んで話をしたら、会談はなくなってしまう。
 いつまで話し合わなくてはならないか分からない』
と話した。
 そこで大平外相が
 『今、田中先生が言ったことはわれわれが条約を締結して帰り、正常化の道を歩んだ際、右翼から尖閣問題はどうなったんだ、と聞かれた際に、話をした、とするために言ったものだ。
 今話をしなければならないということではない』
とうまくその場を繕われた。
 あの難しい尖閣の問題は、お互いに棚上げすることで、将来にわたってお互いが話し合いをできる道を求めるまで波静かにやっておこうという話になった、と聞かされた


 今年88歳になる野中は「当時の状況を聞いた生き証人として明らかにしておきたい」と語り、同じ自民党研修会に出席し、当時、田中から同じ発言を聞いた中村喜四郎元建設相を訪中団に加わってもらった。
 「72年合意」への回帰つまり過去の「棚上げ」をもう一度再確認することしか、現在の日中関係を打開する道はないと感じたのだ。

■食い違う日中政府の外交記録

 野中発言については日本政府内で大きな波紋を広げ、菅義偉は
 「伝え聞いたことを確たる証拠も示さず、招待された中国でわざわざ発言することに対し、私は非常に違和感を覚えている」
と憤慨したが、交渉に立ち会った栗山の証言と野中の「伝聞」は、符号する部分が多い。

 では日中両国の外交記録ではどうなっているのか。

 日本政府が公開した外交文書では田中が
 「尖閣諸島についてどう思うか?
 私のところに、いろいろ言ってくる人がいる」
と周に尋ね、周は
 「今、これを話すのはよくない。(尖閣諸島周辺海域に)石油が出るから、これが問題になった。
 石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」
と答えて終わったことになっている。

 しかし中国政府の外交記録では、「その続き」があることになっている。
 日本政府による尖閣国有化直後の2012年10月12日付『人民日報』を見て、ある中国政府系の中国人歴史研究者は、以前に見たことがある外交記録と同様の内容だったため驚いた。
 この研究者は、非公開の外交記録にアクセスできる立場にあった。
 72年の日中国国交正常化に関する外交文書は、65年までしか公開していない中国外務省档案館ではまだ非公開扱いである。

■日中首相「またにしましょう」を確認

 人民日報によると、周が
 「そこで海底に石油が発見されたから、台湾は大きく取り上げ、現在米国もこれを取り上げ、この問題を非常に大きくしている」
と発言し、さらにこう続く。

 田中
 「よろしい。これ以上話す必要はなくなった。またにしましょう」

 周
 「またにしましょう。
 今回、我々は解決できる大きな基本問題、例えば両国関係の正常化問題を先に解決する。
 これが最も差し迫った問題だ」

 人民日報に掲載されたやり取りは、日本の外交文書と比べ、より一層、両国の指導者が尖閣領有権問題の「棚上げ」で了解したニュアンスが強く、中国政府はこれを「棚上げ」合意の大きな根拠としている。
 実はこのやり取りは、国交正常化交渉に参加した張香山外交部顧問(当時、故人)の回想を基にしたものだ。

 長く対日政策に携わった日本通の張は、中国の日本関連学術誌『日本学刊』1998年第1期に「中日復交談判回顧」として寄稿した論文に、尖閣をめぐり周と田中との同じやり取りを記していたのだ。
 そして複数の中国政府筋によると、このやり取りが外交文書として中国政府に保管されているというのだ。

■結局「領土問題の有無」に行き着く

 「日本政府は、周・田中両総理の尖閣をめぐる会談の最後の部分を発表せず、隠している
と言い切るのは、中国外務省で日本関係を担当する当局者だ。
 一方、日本政府関係者は
 「中国側の外交記録は改ざんされているかもしれない
と反論した。

 中国政府の主張通り、日本の外交文書には「未発表」の部分があり、仮に田中と周が「またにしましょう」と確認し合っていたとしても、それが「棚上げ」で合意したことにならないとの見方は、日本側外交当局者の意見として多い。中国政府高官もこう漏らした。

 「(棚上げ合意は)外交官同士ではないかもしれないが、政治家同士の了解としてはあった」

 中国政府は、首脳・外相会談の条件として日本側に対して過去の「棚上げ」への回帰を求めていることは前述したが、ある日本外交筋は
 「それ以前として領土問題が存在するのかどうかに行き着く。
 これを解決しない限り、何も動かない
 日本は絶対に受け入れられないし、それが『入り口』となって
 首脳会談ができないなら、別にやらなくてもいいのではないか
と強調した。




減速する成長、そして増強される軍備


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