2013年6月27日木曜日

中国人を見下す日本人:ロシアが嫌いな日本人=大きい国は嫌われる

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●日本人の心を離れさせた中国の反日デモ(2012年)〔AFPBB News〕


●露メドベージェフ首相、国後島を訪問
この人の行動もロシアに対する日本人の嫌悪感を増長させた(2012年国後島を訪問したドミトリー・メドベージェフ首相)〔AFPBB News〕


サーチナニュース 2013/06/27(木) 09:52
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0627&f=national_0627_016.shtml

【中国ブログ】
中国人を見下す日本人…理由は“戦争”か“民度”か

  歴史に誇りがあるためか、それとも愛国教育のためか、
 多くの中国人は他国からどう思われているかに敏感だ。
 中国人ブロガーの品易(ハンドルネーム)さんは自身のブログで、
 「もっとも中国人を見下しているのは日本人」
であるとし、その理由を展開している。

  筆者が「もっとも中国人を見下しているのは日本人」と思う理由はズバリ
 「日清戦争で中国が日本に敗れた」
からだというが、一方で、それは「根本的な原因ではない」とも主張。
 日露戦争で敗れたロシア、ベトナム戦争で敗れた米国の例を挙げ、どちらも敗戦を理由に見下されたことはないと指摘。
 中国が日本に見下されているのは敗戦よりもっと深いところに理由があると分析した。

  日清戦争当時、当時の清と日本の国力は大きな差はなかった。
 それでも日本が清に打ち勝った理由として、筆者は
 「封建制度の統治者が問題だった
と主張。
 つまり戦争に深入りして自分の地位を危うくするよりも、日本に屈したほうが良いとふんだからという主張だ。

  筆者は
 「国を取るより家を取る中国人の利己的、貪欲さが日本人にバカにされる原因となった
と分析、張学良や清王朝最後の皇帝・溥儀などの実例を挙げて非難した。

  最後に
 「日本人がなぜ中国人を見下すのか、それは歴史を見れば明らかだ。
 一人の利己心、一族の利益によって中華民族が日本人の目に劣等民族と映ってしまったのだ」
と持論を主張し、
 「だから日本人は中国人に謝らないし、
 中国人が抗日戦争の勝利を祝っていても自他を欺いているようにしか見えないのだ
と結んだ。

  日本人は別に中国人を見下していないと思うのだが、中国人自身が「見下されている」と感じる理由は戦争の勝敗はまったく関係ないと思われる。
 法律やルールを守らない点や、痰を吐く・公共の場所で大便をするなどといった非文明的行為や民度こそに理由があるのではないだろうか。



JB Press 2013.06.27(木)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38089

日本人の“嫌いな国”で中国に抜かれたロシア
ファンも増殖中、研究次第で日ロ関係の意外な発展も

 最近、モスクワに出かけた。同地でロシア・ビジネスに従事されている方々と会食する機会があった。
 日常の苦労話に花が咲いて酒が進む中で、中堅どころの1人から真面目かつ超実務的な質問を受けた。
 「ロシア人とは何でしょうか」

 何年もロシアで働いていれば、多種多様のロシア人に遭遇するから、次第にステレオタイプな民族・文化論など役に立たなくなってくる。
 そうなると、眼前の相手をどう理解して掴んだらよいのだろうか、という思いに駆られて悩む。

■ビジネスの足を引っ張る日本人のロシア観

 外地に出ればどこの国でもそうなのだから、ロシアでも、なのだ。
 決して、何をいまさら、ではない。

 ただ、ロシアは、彼らと日本との架け橋を務めようとする人々にとって、どうにも負担が重い相手のようだ。
 日本人の側がロシアにもロシア人にも概して好意を抱いていない場合が多いからだ。
 それは、会食した方々の東京本社の大多数にも往々にして当てはまってしまう。

 現場にいない人たちとの意思疎通は難しい。
 これにイライラされる向きが、最近は中国でも専門家の方の中から出ておられるようだ。
 だが、ロシアでは昔からそれが当たり前の状態だった。

 「ロシア人とは何か」との質問には、筆者なりの考えは述べたようだ。
 ようだ、などといい加減なことを言うのは、回った酒の咎と思って頂きたい。
 それはともかく、二日酔いの頭で翌朝、
 なぜロシアやロシア人が日本人に嫌われるのかに改めて思いを馳せた。

 昨年10月に総務庁が行った「外交に関する世論調査」によれば、
★.「親しみを感じる」あるいはそれに近い回答は合わせても19.6%、
★.これに対して「親しみを感じない」仲間が76.5%
だった。
 同じ調査で
★.米国の場合はそれぞれ84.5%、13.7%、
★.中国は18.0%、80.6%、
★.韓国が39.2%、59%
である。

 比べてみれば、米国は別格としてもロシアが一番嫌われているわけではない。
 昨今の尖閣問題をはじめとする隣国の
 「強圧的な」態度に辟易している日本人
が増えたことは、容易に想像がつく。

 韓国も竹島問題をはじめとして、いろいろ出てきてしまい、韓流人気もどこかへかき消されてしまう。
 その結果、韓国に「親しみを感じる」が一昨年の62.2%から一挙に20%以上も減って上述の数値に転落する。

 だが、ロシアには他を寄せ付けない記録がある。
 1978年にこの世論調査が始まってから、ソ連の時代を通じてただの一度も「親しみを感じる」が「感じない」を上回ったことがないのだ。

 ちなみに、米国は逆に一度も「親しみを感じない」が「感じる」を上回ったことがない。
 中国と韓国は、これまで双方の感じ方が何度か交叉してきた。
 中国の場合では「親しみを感じる」が、1980年の78.6%から上述の18%へ減ってしまったとはいえ、である。

 人気最下位を脱出したとはいえ、過去の傾向を見れば、ロシアには状況次第で日本人を大いに引き付ける、といった芸当がまるでできていない。
 であれば、いつでもまたドン尻に落ちる可能性に満ちあふれていることになる。

■ロシアを嫌いな理由は聞くのも野暮

 日本人はなぜロシアやロシア人が嫌いなのだろうか?

 意外なのだが、この問題を正面から取り上げた本ははなはだ少ない。
 正確に言えば、筆者は少なくとも目にしたことがない。

 その昔、『日本人はなぜソ連が嫌いか』と題された本が出たが、内容はごく真面目なソ連論であり、題名は出版社が内容にかかわらず付けたものでは、と思わせるものだった。

 たぶん、分かり切った答えに対する愚問と扱われるからだろう。
 日本人がロシアやロシア人を嫌うのは当たり前の話であって、そんなことの理由をあえて問い質そうということ自体が馬鹿げている、なのだ。

 だが、もし中国や韓国の最近の日本に対する敵愾心にどうにも理解がいかない、というのであれば、我々が逆になぜ特定の国に嫌悪感を抱くのか、を再度洗い直してみても無駄ではあるまい。

 ロシアやロシア人に対する批判がどういう点に向かうかと言えば、圧倒的に現代史の中で起こったことに対してである。
 あえて言うまでもなかろうが、第2次世界大戦終了間際での日ソ中立条約の一方的破棄と対日攻撃開始。
 その火事場泥棒的なやり方が何とも気に食わない。

 わずか1週間程の戦闘とその結果で、現東北3省・朝鮮半島北部・樺太・千島列島を支配下・影響下に収める。
 ロシア帝国だって、24年間で清から150万平方キロの領土を奪ったのだから、近代兵器で装備されたスターリンの軍にとっては、息も絶え絶えだった大日本帝国を叩きのめすことなどお茶の子だったのだろう。

 このソ連・スターリンの行為に日本人は「卑劣・卑怯」をまず覚える。
 相手が弱ったところを見計らって、約束も何もかなぐり捨てて襲ってくるとは、ハイエナ以下だ。
 また現地で逃げ遅れた非軍人への暴行の数々が、「野蛮・残忍」という記憶を日本人に残す。

 その襲ってきたソ連兵が、酒と醤油の区別もつかずに一升瓶をガブ飲みした(むせたかどうかは知らないが)とか、腕時計は竜頭(リューズ)を回して使うということを知らずに、奪った時計が止まると壊れたと思って捨ててしまう(そしてまた新たな腕時計を他の日本人からむしり取る)といった類の話は、「無知・無教養」というレッテルを加えた。

 このようなイメージは、60万人を超えたと言われる国際法違反の戦争抑留者への扱いや、北方領土の「不法占拠」という理不尽極まりない行為の中でますます強められていく。
 日本人にとって不幸な思い出は、戦争末期の1カ月弱の戦闘状態だけでは終わらなかったのだ。

■国交が始まって150年、そのうち100年は敵対関係

 このネガティブな思い出には下地がある。
 日露両国は互いの接触が始まってから約300年、国交が始まってから約150年を経るが、今日に至るまでのその中の100年近くが敵対関係にあった。

 最初は日露戦争、次にはロシア革命が起きて共産主義政権が出来上がると、万世一系の我が帝国は彼らの否定の対象になるから、赤色ロシア=ソ連は潜在敵国No.1になってしまった。
 戦後はソ連が崩壊するまで、米ソ冷戦の中に日本も巻き込まれ、西側陣営の一員として対峙する。

 東西冷戦の間は、ソ連も日本を東側陣営の一員に引き寄せようとあれこれ努めて、日本の左翼運動を陰に日に応援していたようだ。
 そんな雰囲気が盛り上がっていた(ように見える)1960年頃にもし世論調査があったなら、ソ連の人気も30%は上回っていたのかもしれない。

 人類初の人工衛星をソ連が打ち上げ、社会主義の優位性は誰の目にも明らかだ。
 その事実から目をそらすのは、歴史の発展法則に頑迷なまでに背を向ける保守反動でしかない。
 それは早晩滅びる運命にある。

 だが、そうした宣伝工作に乗った向きは、日本の社会の中で決して多数派にはなれなかった。
 そのうちに、資本主義を衰亡の際(きわ)に追い詰めていたはずだった社会主義国家が、実は自分の方が崖っぷちに立たされているという赤裸々な事実が西側に次々と漏れ出し始めた。

 そんな中でオイルショックなどが起こってしまうと、もうイデオロギー運動などに構っていられなくなる。
 石油の一滴は血の一滴、とかの昔懐かしき標語の方が遥かに現実味を帯びてくる。
 状況が変わればあっという間の変身
――実利第一の日本人の面目躍如である。

 日本の中でソ連の敵は資本主義体制だけではなかった。
 1970年代前後の世に言う「新左翼」は、帝国主義とともにスターリン主義=ソ連帝国にも反対を叫ぶ。
 それやこれやでソ連の人気はただただ落ちるばかり。

 何度も引っ張り出すが、冒頭で取り上げた総務庁の世論調査が始まった
 1978年で、ソ連に親しみを持ったのは11.3%のみで、それを否定したのは74.2%に上った。
 今より人気がなかったのだ。

 1980年代前半の「悪の帝国」というロナルド・レーガン米大統領のキャッチフレーズに加速され、この頃からソ連には「暗い」「寒い」「怖い」というイメージがしっかりと日本人の中に定着した。
 それは今に到るまで、どうやら不動の地位を確保している。

 さらに、ソ連とその衛星国家群が崩壊すると、ロシアと国境を接してロシアが好きだという国がほとんどいないことも暴露されてくる。
 嫌いなのは日本だけではない。

■大きい国は嫌われる

 図体のでかい国というものは、その存在そのものが隣国にとって脅威なのだ。
 黙っていたら隣人は従うしかなくなる。
 だが、もうそれは御免だ。
 ならば、ロシアより強い相手と組んで対抗するしかなくなる。

 まだほかにもロシアを嫌いになる理由はあるかもしれない。
 が、人によってどの点で一番嫌いかの差はあっても、大方の抱くロシアやロシア人のイメージはここで数え上げた諸要素のいずれか、あるいはそのいくつかの組み合わせで成り立っていると考えてよいだろう。

■さて、ではこれから、ロシアにどう我々は向かい合うことになるのだろうか?

 日本人の多数がロシアを好きになるということは、まず無理であろう。
 対日参戦が他の連合国の要請や了承の下に行われたものであろうと、北方領土問題で明確に日本支持を述べたのは一時期からの米国とかつての毛沢東あたりしかいないとしても、相手の本土内に軍を送ったのは日本の側だけであったとしても――好き嫌いとは理屈ではない。
 理屈でどう間違っていると説教されたところで、気持ちは簡単には変わらない。

 であれば、日本人が親露的な国民になるといった図式は最初から思い描くことを諦めた方がいい。
 それで何か支障があるのか? 
 恐らくないだろう、我々がロシアとロシア人をある程度まで正確に知ってさえいれば。

 第2次世界大戦が始まる前後から、日本では英語が「敵性語」として扱われ、学校でも授業時間は大幅に削減された。
 相手は鬼畜米英である。
 野球でストライクは「よし」、ボールは「ダメ」とか。
 だが、米国では戦争が始まった途端、日本語学習志望者の数が一挙に数倍に増えたという。

 嫌いで済む相手ではない、敵なのだ。
 ならば勝つためにはその敵を知り尽くさねばならない。
 知ったらたちどころに戦意が衰えるのでは、とコンプレックス丸出しで敵を惧れた日本とはエライ違いである。

■昔の話に過ぎない?

 とんでもない、今のグローバリゼーションだって、本質はそういうことなのだ。

 嫌いはやむを得ない。
 だが、嫌いが無知に結び付いていたなら、今の日本にとってそれは最悪である。
 「失われた20年」の間に、日本企業の多くが対外競争力を失ってしまった。
 その一つひとつの理由を子細に見ていくと、円高もあった、バブル崩壊の後始末もあった。

 だが、中国をはじめとする途上国がいかに急速に経済発展を遂げつつあったかへの注意や認識、
 それに理解力が欠けていたこともサムスンや中国企業に追い抜かれつつある理由の1つだろう。
 それも先進国市場だけではなく、途上国市場においても、だ。

■相手の徹底研究なくして勝負には勝てない

 「高品質は価格も高い」
が当たり前、から「
 安くて適正な品質」
という考え方に日本企業が切り替わるのには、随分と時間が必要だった。
 ひとたびこの苦い経験を乗り越えれば、多くの日本企業はまた戦線に向かえるだろう。

 今度はその市場がどのような国と人々の下に置かれているのかを、誰にも負けないほど研究・調査して。

 ロシアとて、嫌いならばなおさらのこと、知っておくべき対象であることに変わりはない。
 さもなければ、我々が見聞きする韓国や中国の、事実と懸け離れたように見える対日批判と、我々の嫌露感がしょせんは同じ水準の話、ということになってしまいかねない。

 戦前、日本の組織の中で最もロシア語研究の水準が高かったのは大学ではなく、陸軍士官学校だったそうだ。

 とはいえ確かに、日本ではロシアを知ろうにもその機会は少ない。
 身の回りにロシア人がゴロゴロいるわけではないし、魅力的なロシアの商品がスーパーやコンビニに出回っているわけでもない。
 かつて一部の日本人を魅了した文学に代表されるロシアの文化は、好事家の愛好に委ねられている世界のようだ。

 それでも、それまでロシアのことなど何一つ知らずにおられた方が、何を間違ったか、ロシアの工事現場や事務所への勤務を命じられて数年彼の地で過ごされると、筆者の見聞で言えば9割以上の方がなぜかロシアを好きになって帰ってこられる。

 他の国では、途上国はもちろん、先進国であっても、「あんな国、誰が二度と」と滞在経験の後に息巻く人も結構いるのだが。

 生活が日本のようにまだ便利にはできていない。
 仕事の上でもビジネス環境なのか、相手の人品骨柄なのか、思うようには進まない苛々が募る毎日。
 それでも終わってみれば、思っていたほど悪いところでもないね、の気分になるのだから、ロシアとは摩訶不思議な国である。

 こう書いてきたところで、「ロシア人とは何でしょうか」という冒頭の問いに筆者自身がどう答えたか、おぼろげながら思い出した。
 「ロシア人? 人それぞれさ。良い奴もいれば厭な奴もいる。
 日本人と変わりゃしないよ」




減速する成長、そして増強される軍備




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