●18日、第二次安倍内閣の発足以来、日本経済は長年の低迷を覆し、高度成長の勢いを見せているように見える。資料写真。
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レコードチャイナ 配信日時:2013年6月20日 10時0分
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日本の経済発展支えた産業スパイ、
次のターゲットは新興国―中国メディア
2013年6月18日、第二次安倍内閣の発足以来、日本経済は長年の低迷を覆し、高度成長の勢いを見せているように見える。
しかしアベノミクスの効果がどれほど続くかについては、依然として多くの疑問が存在する。
何はともあれ、日本は依然として世界3位の経済体であり、その経済力は侮れない。
広州日報が伝えた。
歴史を振り返ると、日本が敗戦後の廃墟からわずか20数年間で世界2位の経済国になり、この地位を40数年に渡り維持できた一つの重要な原因として、日本が他国の経済・科学技術情報を収集・吸収し続けたことが挙げられる。
言い換えるならば、日本経済の奇跡の裏側には、日本の産業スパイの姿が隠されていたというわけだ。
◆産業情報の収集、欧米の科学技術に注目
CIA元局長のWilliam Colby氏は、
「大多数の国が情報活動を実施している。日本の場合は、それが経済に集中している」
と指摘した。
ある米国の元大使は、
「日本人は冷戦期に、旧ソ連の監視に多くの情報資源を使うことはなく、米国およびその技術に興味を示していた」
と語った。
日本は1950年代後半に科学技術情報センターを設立し、西側諸国から獲得した技術情報を日本企業に提供した。
日本は1962年に特別教育センターを設立し、公式名を工業保護学会とした。
しかしその実質は産業スパイの訓練機関であり、多くのビジネスマンを引きつけた。
これは日本の産業スパイ重視を十分に裏付けるものである。
1987年に解読されたCIAの報告書によると、日本の情報機関の優先的目標は、石油や食料を含む海外の原材料に関する情報、そして米国・欧州の技術および科学発展に関する詳細情報の2点だ。
同報告書によると、日本の全情報機関の80%が米国と欧州に使用されており、ハイテクに集中しているという。
日本のスパイが収集した情報のうち85-90%が産業関連であり、そのうち圧倒的多数が特許技術だ。
例えば日本の米国を対象とする産業スパイ活動の重要な成果の一つは、チップ産業だ。
日本政府とビジネス界は1970年代後半より、この産業に狙いを定めた。
CIAは、日本の産業スパイはこの時期に、同産業の70%のベースラインデータを収集したと予想した。
この1MBメモリチップ市場で、日本は1988年に85%のシェアを占めたが、米国の市場シェアは8%に激減した。
◆官民の情報収集網
米国のCIAなどと比べ、日本には世界的に有名なスパイ機関が存在しないが、これは日本が最も完全かつ複雑な情報システムを構築・保有することの妨げにはならない。
大多数の国家の情報機関と異なり、日本の産業活動は正規の情報機関に依存することが少なく、非正規の巨大な情報ネットワークに依存することが多い。
1970-1981年にフランス情報局の局長に就任したピエール・マリオ氏は、日本の産業スパイの能力について、
「日本は技術・工業のスパイ活動を常に行っている。
通商産業省は世界各国に、情報収集を担当する情報ステーションを設置していたようだ」
と指摘した。
1982年にフランス情報局の局長に就任したピエール・ラコステ氏は、
「通商産業省は大規模な情報収集活動を行っており、収集された情報は信じがたい内容だ。
通商産業省と日本貿易振興機構(ジェトロ)は世界の情報ステーションから、毎日政府に50万件の情報を送っていた」
と語った。
カリフォルニア大学サンディエゴ校のチャルモス・ジョンソン教授は1985年、
「ジェトロは世界59カ国に75の事務所を構えており、そのうち25の事務所は外国の主要都市に設置されている。
海外に駐在するスパイは270人に達し、東京本部には1200人の情報アナリストがおり、その規模は世界クラスの情報機関に劣らない」
と分析した。
1960年代前半より、多くの日本企業が自社の情報チームを発足させた。
1980年代にウォーターゲート事件で有名になった米国人記者のボブ・ウッドワード氏は著書「ヴェール」の中で、日本企業の産業スパイ活動を次のように例えた。
「日本企業の子会社は真空掃除機のようであり、技術・時事雑誌、工業・科学会議の学術報告、さらにはディナーやゴルフ場での談話から情報・データ・文書を収集する。
そのうち一部の企業の情報活動は非常に頻繁だ。
例えば三菱の諜報員は、マンハッタンの高層ビルの2フロアーを借り切っている。
日本の産業スパイが、あなたの身辺にも潜んでいるかもしれない」。
◆輝かしい成果
日本の産業スパイ活動は、米国の大学に派遣した留学生や学者を利用し、米国の学術機関の科学技術研究情報を収集している。
カリフォルニア大学バークレー校のジョンソン教授は1980年代に、
「カリフォルニア大学の日本人留学生は私に、サンフランシスコの日本国領事館の職員が、生物科学技術に関する情報を報告するよう指示されたと語った。
カリフォルニア大学はこの分野で、世界トップの地位を占めている」
と語った。
マサチューセッツ工科大学の研究者は1990年秋、
「日本人留学生は政府からの命令を受け、本校の実験室の研究チームへの接触を試みた」
と述べた。
米オハイオ州Cleveland Clinicに勤務していた日本人学者の芹沢宏明氏と岡本卓氏は1999年6月に辞職・帰国し、日本理化学研究所に転勤した。
米国は2年後、この2人の日本人学者が同病院の情報をすり替え、アルツハイマー病の遺伝子に関するサンプルを盗み出し、日本理化学研究所に引き渡したと糾弾した。
CIA元職員のジョン・クイーン氏は、日本政府の産業スパイ活動を
「大規模、精密、持続的」と表現した。
日本の産業スパイの持続的かつ効果的な活動により、ある米国の専門家は、日本人はわずか数十億ドル(数千億円)で、西側諸国のほぼすべての技術を日本に移したと驚いたほどだ。
この金額は、米国の毎年の科学研究費用の10分の1のみだ。
日本のグローバル企業の産業スパイもまた、CIAの多くの機密文書を入手しており、その中には「宇宙戦争計画」に関する機密の技術情報が含まれる。
米サイエンス・アプリケーションズ・インターナショナル(SAIC)のプロジェクトマネージャーのロナルド・ホフマン氏は1985年、同社の「宇宙戦争計画」の秘密研究のソフトを、75万ドル(約7163万円)の価格で日産自動車、三菱重工、IHIなどに売却した。
このソフトはその後、日本民間航空計画に使用された。
アメリカ国家安全保障局(NSA)が1982年に、三菱のワシントン事務所が東京に送った情報を入手し、暗号を解読し翻訳したところ、驚くべきことが明らかになった。
この情報は、CIAが米国大統領と国家安全保障会議(NSC)の委員に提出した、イラン・イラク戦争に関する機密クラスの日報だったのだ。
◆現在は新興国が標的に
21世紀に入ってからも、日本は活発に産業スパイ活動を実施している。
文部科学省と経済産業省は2001年より、遺伝子・ナノテクノロジーなどの最先端分野の情報収集を強化するため、大学および産業研究者の中から「協力者」を選び出した。
そのうち文部科学省は基礎研究分野で1800人を選出し、経済産業省は応用研究分野に取り組み、「協力者」に技術開発関連の情報収集を要求した。
日本科学技術の最高権力機関である日本総合科学技術会議もまた、10数人の一線で活躍する研究者と契約を交わし、独立した情報網を構築し、民間コンサルティング会社に主要国の科学技術戦略・政策の動向の調査を依頼した。
文部科学省は2003年に独立行政法人理化学研究所を設立し、名古屋大学大学院理学研究科研究科長でノーベル化学賞受賞者の野依良治氏が、センター長に就任した。
各種データバンク、情報網、個人との連絡を通じ、同センターの職員は各国の科学技術の発展状況を分析し、各国で実施中の科学研究プロジェクトと最新の成果に関する情報を収集し、日本が重点的に発展させるべき分野、講じるべき措置などを分析・選択している。
日本の産業スパイ活動は一貫して明確な目標を持ち、異なる時期に異なる重点分野・目標を設定してきたことが分かる。
1970-80年代の重点は電子科学技術産業で、その後は遺伝子やナノテクノロジーなどの新興産業に重点が移された。
1970-80年代の産業スパイの主な対象国は米国や西欧などの先進国であったが、現在は中国などの新興の大国が重点目標になろうとしている。
(提供/人民網日本語版・翻訳/YF・編集/武藤)
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習近平にオバマから出された宿題
「サイバー攻撃をやめろ!」
に対する、中国風の言い訳であろう。
「アメリカは日本の産業スパイ行為を容認したのに、
なぜ中国のサイバー攻撃に文句をつけるのか?」
ということである。
中国のサイバイー攻撃とは
解放軍を中心に軍事機密の盗み出しをメインにしている
ところに問題の大きさがある。
産業技術情報ならアメリカもこう強くは出ない。
軍事にかかわる国家機密だから強硬になるのだ。
それを自己反省はせずに、他人を引き合いに出して保身をはかろうとするのはちょっといただけない。
責任転嫁、言い逃れ、少々、身苦しい。
こんな回答ではアメリカにそっぽを向かれてしまう。
アメリカが苛立ってくる前に手を打ったほうがいい。
でないと、アメリカを日本の側に押しやってしまうことになる。
[減速する成長、そして増強される軍備]
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